Gi Communications Corporation ニッチなサービスを展開・多角化し続ける “義【ギ】コミュ” 代表のブログ

一度も就職をせず、ニッチなサービスを展開・多角化し続ける異端経営者が、“あらゆる刷り込みに影響されないで自由に生きる方法”という独自の価値観を綴っています。

一度も就職をしたことがない異端経営者が、“あらゆる刷り込みに影響されないで自由に生きる方法”という独自の価値観を綴っています。

株式会社 義【ギ】コミュニケーションズ
http://www.gi-communications.com/

自由に生きるには、最低限“自分にとって一人分以上の価値の奴✕二人の存在”が必要

突然ですが、皆さんが思い描く“自由に生きる人生”ってどのようなものでしょうか?

僕がイメージする『自由』は、『思想や表現を抑え込まれない精神的自由』や『実生活で我慢や不便のない経済的自由』、『監視や拘束されていない時間的自由』がある人生だったりするんですけど、今から4カ月前の僕はこのブログのコンセプトを『あらゆる刷り込みに影響されないで自由に生きる方法』にしようと思ったようで…

その時点で『このブログが自由に書けないじゃん』と笑

こういった不自由もあるので、“自由に生きる”というのは本当に難しいことだと思っています。

でも、精神的・経済的・時間的以上の自由って“これ”なんだと確信している

人によって自由の定義が違うのは承知のうえではあるけど、僕が思う精神的・経済的・時間的以上の自由というのは、

『環境的自由』

まあ今のところ多分、こんな言葉は存在しないんですけど笑

この“環境的自由”というのは、『自分の生き方をサポートしてもらえる』ような状況で、例えば、

夢を追ったり目標を叶えたい子供の親が、学費やレッスン費用、時に夢を追う期間の生活費まで捻出してくれたり、

売れていない役者さんやミュージシャン、芸人さんなどの彼女(彼氏)や奥さん(旦那さん)が、精神面や収入面を支えてくれていたり、

まだ何者でもない若者に可能性を見出した後援者や支援者が、リスクを背負って融資や出資をしてくれたり、

要は、『こう生きたい』という環境を与えてくれたり、自らを顧みずサポートしてくれる人がもたらしてくれる自由。

よく考えると経済的・時間的自由に近いけど、自分で金や時間を手に入れるには時間を要するし、『これは親(恋人や出資者など)が作ってくれた環境だ』という感情によって生まれる力は湧かないわけで、そう考えるとやっぱり環境的自由というのが“最上の自由”なのではないかな…と僕は思っています。

そりゃあそんな人が二人いたら強いでしょ。※但し、自分にとって一人分以上の価値の奴に限る。

今回のブログのタイトルは『自由に生きるには、最低限“自分にとって一人分以上の価値の奴✕二人の存在”が必要』なんですけど、この中で重要なのは“一人分以上の価値”という箇所と“二人の存在”という箇所だったりします。

まず、“一人分以上の価値”

まあ普通に考えれば“人間一人で一人分”だと思うんですけど、もしその一人の人が自分の人生でいっぱいいっぱいなら自分のその人に対する感情が一人分だとしてもその人が自分の“環境的自由”をもたらしてくれる一人分にはならないわけで、その人に経済的・時間的余裕があるかもしくは自己犠牲を張る覚悟がないと、ここで言う“一人分以上の価値”とはならないんですよね。

その人が自分の人生と同じように考えてくれて、損得考えずにある意味“自分に賭けてくれる”くらいじゃないと。

次に、“二人の存在”

そんなふうに思ってくれる人が二人いるわけですからね。

簡単ではないように思えますけど、

希望の学校に入学したい子供に対して=パパが稼いだ金を湯水の如く教育費に注いでくれるママと報酬関係なく合格させることに執念を燃やす家庭教師。

でしたり、

大手企業を脱サラして起業する人に対して=資本金の半分を出してくれる父親と退社してまで上司についていく部下。

でしたり、

ヒモとして暮らしていきたい人に対して=家に住ませてくれる女の人とお小遣いをくれるまた別の女の人。

といったように、このような方々はこの国にもたくさんいらっしゃると思うので。
(まあ3つ目少しおかしいですけどね笑)

あとはやり方次第で環境的自由が手に入る!?次はそいつらのために経済的・時間的自由を手に入れろ

さて、とは言っても『いや、そんな自由をもたらしてくれる奴、周りにいないから…』と感じている方もいると思うんですけど、もしそういう人が必要だとしたら、“自分のことをすごく好きになってもらって結婚する”というのもありだと思います。

あなたが愛情を注ぎ続けることができたら、多分その奥さん(旦那さん)はあなたにとっての“一人分以上の人”になるはずなので笑

ちなみに、僕には援助してくれる親族や融資・出資をしてくれる後援者・支援者はいませんでしたが(端から頼る気ないけど笑)、無借金のまま通算13年以上経営者でいられたのは、その時々で“自分にとって一人分以上の価値の人間”が側にいてくれたからだと思いますし、この会社を設立させてからはその頃からいる2名に『環境的自由』ってやつを与えてもらっていると思っています。

内容的には、『自分の損得を考えず組織のため(時に僕個人のため)に動いてくれる気持ちや姿勢、機動力』って部分が大きいんですけど、この二人がいてくれるからこそ毎日出社したりその他のスタッフや登録者と接する機会が少なくて済む。

これはもう紛れもない事実なので。

なので、例え『利だけを追わない』と決めた会社だとしても、そいつらの給料や休みを増やしてあげたいな…

じゃなく、『増やしてやる』と思い、僕は休みなく組織のことを考え続ける。

それが、“最上の自由”を手にする奴の責任のような気がします。
(果たして自由なの?という疑問笑)

というわけで、今日はその中の一人である小石という部下の誕生日もあるので、気前よく何かくれてやりましょうかね笑

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最後に、“環境的自由が手に入るやり方”なんですけど、これは“賭けてくれる連中”の気質や能力によって様々なので、一概には言えなかったりするんですよね。

ただ、もし自分に賭けてくれる人がいるなら、その人を裏切らないとか絶対に守るという気持ちや最低限の感謝やいたわりがなきゃ、その自由や幸福は長く続かず崩壊する

これは自信を持って言えることのような気がします。
(身をもって経験済み笑)

っていうか…

こんな『心優しき少年・少女』でも理解できそうなことを、改めて長々と書く必要ってあるの?笑

VD間近だし“モテる”という定義について考えてみる

小池ダース。
(森永ダース的な挨拶です)

バレンタインデーというやつが迫ってますが、実はチョコレートって「2020年頃には世界から消える」と言われているのをご存知ですか?

2014年にスイスのチョコレートメーカーが表明したらしいんですけど、理由は『消費量は増え続けている反面、カカオの生産量は減っている』からだとか。

ちなみに、そのメーカーが提案した解決方法は、

「人々がチョコレートを食べる量を減らすこと」

みたいです笑

(話題性作りもあるんだろうけど)

クリスマスと双璧をなすイミフな刷り込み記念日、『バレンタインデー』

この会社には、“日本で一番頭の悪い会社役員”こと辻崎(つじさき)という僕と無茶苦茶付き合いの長い人物がいるのですが、子供の頃に限らず、一緒に音楽をやっていた頃や別々に水商売のスカウトマンをしていた頃も、「とにかく辻崎よりひとつでも多く…」という“よく意味がわからない感情”が生まれる。

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(この雪と同化している奴ですね)

それが僕にとってのバレンタインデーの大半の記憶なのですが(小っちゃいな笑)、さすがに最近そんなことはどうでもよくなり、『むしろ貰わないほうがお返しを考えなくていいんじゃないか…』などと考える始末。←

まあそもそもアメリカやヨーロッパのバレンタインデーは、地域によって男性からもプレゼントを渡す日みたいですし、ホワイトデーに至っては日本のお菓子業界が広めた日本とアジアの一部地域に限った便乗イベントですからね。

バレンタインの由来を調べても

『“バレンタイン”という実在したか不明な人物の処刑された日』

という、クリスマスと同様、


いったいなんの日なのよ

パターンですし(;一_一)


“イヴやクリスマスはデートしたりセックスをする”という謎な刷り込み
http://gi-communications.hatenablog.com/entry/2016/12/22/200000

基本、『どうせ浸透している記念日なら乗っかっちゃうべき』という考え方ではあるんですけどね。

由来やバレンタインデー自体が『イギリスのチョコレートメーカーがギフト用を販売したのをきっかけにチョコレートをプレゼントするという習慣が広まった』という事実を知ると、

『あの~これ、乗っかり続けちゃうべきですか?』

と、思ったり思わなかったり…

揺れる想い。


「とっとと“モテる”という定義を語れよ」という自分に対してのツッコミ

もうですね、レーススタート早々コースアウトしたまましばらく違う道を走り続けちゃったような展開のブログになってきたので、ここからは手短に。

「モテる」と調べると、『多数の異性から人気があることやちやほやされる、好かれることである』といった表現があったので、お年寄りや子供にモテるとか同性や動物にモテるとかは省きます笑

まず、この“モテる”というのは意外と厄介で、年齢や性別、居住している地域や属しているコミュニティによって変化する。

例えば、小学生時代はスポーツ少年がモテたのに、中高生くらいになるとおしゃれな人がモテるようになったり。

女子アナ的な清楚系を演出できる女子はモテ要素が高いのに、男で清楚系だとなんか気持ち悪かったり。

ちなみに、大人の女の人が本能レベルで男性を好きになる要素は、

本能的ステータス=決断力、行動力、頼りがいなど

立場的ステータス=金や地位、名声など

みたいですけど、これだったらドナルド・トランプみたいな人が“相当モテる人”になってしまうわけですし、第一どのくらいの数の異性にどのくらいちやほやされたり好かれたりすれば“モテる”ことになるの?と笑

そこで、シンプルに考えると、“モテる”というのは【主観や客観でしかない】わけで、まず“モテる”という定義の一つ目は男女問わず、

『自分はモテると実感していること』
(表面上は謙遜していても)

次に、

『実際に異性に好かれたり、モテると思われていること』

※但し、自分が思い込むのは自由だけど、他人からの評価は本心であることが条件笑

そして、モテる=『多数の異性から』という考え方の人がいる以上、そこに評価している人の人数、要は『知名度』というものが差を生む要素になると思うんですよね。

簡単に説明すれば、見た目が良くステータスもあり『自分はモテる』と思い込んでいて、実際に周りにいる異性からもモテると思われている人がいたとしても、それが2~3名の異性からだけの評価なら、モテ度としてはアンガールズの田中さんや渡辺直美さんにですら敵わない。
(あ、お二人共好きですよ。特に田中さんはカープファンだし笑)

まっというわけで、考えに考えた結果、“モテる”という定義をまとめると、

『自分はモテると実感していて、実際により多くの異性に好かれたりモテると思われている人』

ということになりました。

いやー、モテるっていうのは、ほんと難しいですね笑

だから何なんでしょうか?このブログは…

いや、実はですね、僕も途中から『一体何が書きたいんだろう…』とは思っていたんですよ。

ただ、今回タイトルを先に書いてしまったのもあって、結局コースアウトしながらそのままゴールを目指すという強引さ笑


まあここから締めなんですけど、個人的には近い将来バレンタインデーよりハロウィンのほうがマーケットが大きくなると思っています。

カカオの問題もありますけど、日本の若者はこんな感じですし汗

若者の恋愛離れ…なぜ「面倒くさい」と感じるのか
http://www.iza.ne.jp/topics/entertainments/entertainments-9063-m.html

ただ、これだけメジャーな日なわけだから、衰退しつつも形を変えながら脈々と受け継がれていきそうですけどね。
(年賀状みたいな感じ?年賀メール・メッセージに変化してきたように)

というわけで、僕としては『乗っかり続けちゃうべきですか?』と思ってきているバレンタインデーですが、せっかくの世界的な“刷り込み記念日”です。

楽しみな人も、不安だったりする人も、めんどくさいと思っている人も、

“バレンタインさんが処刑された日”を是非お楽しみください笑

あ、そう言えばうちのコンパニオン派遣部門、今日から14日までお客様に向けた『バレンタイン特典』を用意しているみたいなので、こちらもよろしければ是非~

お客様へ向けて私たち飲みセレがお届けするバレンタイン攻勢
http://nomisele.hatenablog.com/entry/2017/02/07/153000

大抵のことは思い込み。プラシーボ効果だったり自分を一新できる名言だったりポジティブに生きるための魔法!?

2週間以上前に珍しく風邪っぽい症状を自覚したものの3〜4日前まで一向に回復する気配を見せず、やっと復調したと思ったら、今度は僕にとっての“立体起動装置”である所有車の調子が悪くなり、現在そいつは整備工場へ…

というわけで、ぜんっぜんモチベーションが上がらん(/ヘ ̄、)

まあ体調の回復が遅れたのは、風邪の引き始めに仕事で群馬に行ったり大阪に行ったりしていたからだろうけど。

でも、こういった負の連鎖的な状況は誰にでも訪れることであって、今回はそのような時は“こう考えたほうが得”というお話。

特に誰に向けて発信したいかと言えば、『やっと万全の状態で戦える♪』と思った途端、立体起動装置が壊れてしまった自分に向けてなんですけどね…

↑ネガティブな人笑

 

プラシーボ効果ってご存知ですか?大抵のことは思い込みだったりします

プラシーボ効果とは、薬効成分を含まないプラセボ(偽薬)を薬だと偽って投与された場合、患者の病状が良好に向かってしまう治療効果のことを指すらしいのですが、実は昨年、僕自身もこれに近い症状を体現しました。

簡単に書けば、慢性的になりつつあった腰痛が“とある動画”を見ただけで完治したという話なんですけど、まあ詳しい内容はそっち系のブログではないので置いておいて、ようは“痛みですら思い込み”であることが多いんですよね、人間の構造って。

例えば、催眠状態とした人に「これから額にアイロンの先で触れる」と宣言し、実際には鉛筆の先端で額に触れただけなのにその人が火傷をする…

こういった実験結果もあったりするくらいです。

このプラシーボ効果の主体は暗示らしいのですが、人から言われるだけではなく自分自身に言い聞かせることでも効果を発揮するそうで、達成できると思い込むと実際の実力以上の結果を得ることができたり、勉強方法やダイエット方法を信じ込むことで効果が高まったり、さらには『自分は運がいい』だとか『頭や見た目がいい』だとかの勘違いでさえもその人物像に近付く要素になる可能性を秘めているということ。

ただ、それとは逆に『自分じゃできない…』だったり『自分は運が悪い…(バカとかブス)』と思い込んだりすると、マイナス方向にプラシーボ効果が働いてしまうというのは怖い点ですけどね汗

さぁそういうわけで、このブログを見た時点で『自分は幸せだ』と感じられていない方、現在の僕と同じように自分自身に言い聞かせてみませんか?

今から書く言葉をゆっくりと3回ずつ口に出してみてください。

まず、「絶対に自分ならできる」、

次に、

「絶対に自分は運がいい」、

そして、

「絶対に自分は幸せになれる」、

 

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とまあ自分自身を都合良く騙しましょ笑

 

どうせ負の連鎖が続くのなら、この言葉を忠実に実践すれば自分くらい一新できる(はず笑)

一度は耳にしたことがある方も多いと思いますが、ヒンズー教の教えとも心理学者・哲学者であったウィリアム・ジェイムズの言葉とも言われている言葉。

『心』が変われば『態度』が変わる。

『態度』が変われば『行動』が変わる。

『行動』が変われば『習慣』が変わる。

『習慣』が変われば『人格』が変わる。

『人格』が変われば『運命』が変わる。

『運命』が変われば『人生』が変わる。

 

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いやーまさに名言です…

というか、どこの馬の骨ともわからない奴が書いた自己啓発本なんかを読むんだったら、この言葉を頭に入れておいたほうがよっぽどいい。

ちなみにこれ、忠実に実践すれば“人生が激変する”と思うんですよね。

いつまでも自分の物差しでしか物事を測れない人(ようは成長しようとしない人)は、一行目の『心が変われば態度が変わる』という時点で、相当難しいと思うけど。

自分も『心』や『態度』が課題だと思うことが多いので、今年はまずそこからですかね笑

そして、個人としても一経営者としても思い込んでいこうと思います。

『自分はスタッフにとってより働きやすい環境を構築できる』、

『自分は利用者にとってより満足度の高いサービスを提供できる』、

『自分は自分にとって幸せだと感じる人生を送ることができる』、

 

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あー早く「死ぬこと以外はかすり傷さ」なんて言葉を言えるような人間になりたい…

 

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